<独占インタビュー> イビチャ・オシムから日本へのメッセージ。

自分たちにあった方法を磨くことで、大きな事を成し遂げる事ができる!
ブレずに信じてやり続ける事。


Number編集部
text by
Sports Graphic Number
photograph by
Takuya Sugiyama
74歳になった今も全く変わらない、日本そしてサッカーへの愛情。
日本を離れて早7年──。今、オシムの目に日本はどのように映るのか?
彼が待つサラエボに飛び、“我々が進むべき道”について聞いた。
――今回のテーマは「Rewrite the Rule」。つまり、組織や社会を変革するための哲学についてお聞きしたいと思います。あなたは2006年にサッカー日本代表の監督に就任した際、まず最初に「日本サッカーの日本化」を掲げました。そこにはどんな意図があったのでしょうか。
「日本化は実は簡単なことではなかった。言うは易しだが、実現は難しい。日本人の特長を見極め、それを引き出す。さらに他者と比較する。ブラジルやイングランドと比べたとき、いくつかの領域で違いが明らかになった」
――日本人の特長とは何なのでしょう?
「勤勉さの面で日本人は能力に恵まれている。それは能力であり特長だ。日本では誰もが勤勉に働いている。この特長を活かせないのであれば、とても残念だと言わざるを得ない。シュートがゴールの枠をそれるようなものだ。能力を維持し続けていれば、日本は常に野心的でいられる。そこをうまく利用すべきだ」
――あなたは試合でも練習でも「考えて走る」ことを強調しました。トレーニングの方法も多彩で、ある選手などは前夜から「明日はどんな練習をするのだろう?」とワクワクしていたといいます。
「まず選手にプレーする喜びを与える。プレーと喜びは別物だ。ただプレーする選手と喜びながらプレーする選手。すでにそこに違いがある。サッカーが難しい仕事のようになってしまったら、すべてが難しくなる。だが、演劇のように喜びに溢れていたら……。サッカーとは、観客にとってひとつの演劇である。選手はサポーターを喜ばせるためにプレーするものだ」

――しかしながら、日本はブラジルW杯以降、自信を失い、サッカー界が停滞しているように感じます。
「なぜ自信を失う必要があるのか。日本はすでに大きな進歩を遂げた。問題なのは、あなた方、日本人が目の前の結果ばかりにこだわりすぎていて、少し内向的になっていることだ。日本人の資質を活かしきっていない。もう少し自分たちに自信を持つべきだ。何かを行なうことに恐れを抱いているのではないか?『恐れることを、恐れるな。進め。』そう私は言いたい」
「破壊は簡単だが、創造は難しい」
――あなたは日本で指揮を執っていた時も、そうして選手たちを刺激していたという印象があります。
「私がそうしたのは、日本人が創造的であるからだ。第二次大戦から日本は恐るべき早さで復興した。まず日常生活をノーマルな状態に戻し、国家もノーマルなものにした。そして国をとても豊かにした。他の国民にはない価値を、日本人が持っているからこそ成し得たことだ。何かを変えることの出来る人々が日本にはいる。ただ、日本には地理的なメリットがない。気候にも抗わなければならない。地震もあるし、台風も頻繁に訪れる。こうした状況を変えることはできない。だからこそ、少し先のことを常に考えておくべきだ。我々は明日があることを忘れがちだが、残念ながら明日は必ずやってくるのだから」
――日本サッカー、ひいては日本社会の改革のためには、本物のリーダーが必要なのではないでしょうか。
「本物のアイディアを持った人間を然るべき立場に就けて働かせることが重要だ。だが、決して急いではいけない。というのも、突出した人間や優れた人材は、すぐに潰されてしまうからだ。嫉妬が改革を妨げるということを忘れてはならない。創造的な人間には、邪魔することなく仕事をさせるべきだ」

――では、組織や社会を再構築するために必要なものとは何だと思いますか。
「破壊は簡単だが、創造は難しい。いったいどれだけの国が、再構築できたのか。ただ壊せばいいというものではない。守らなければならない価値があるし、伝統があるのならば、それは尊重すべきだ。そして、常に未来を考えなければならない。模倣を繰り返すのではなく、とにかく熟考する。理念を考え直さなければならないし、古くからある問題に向き合う必要もあるだろう。ここボスニアでも内戦があったが、それから約20年が過ぎた。以前のように生活するにはどうすればいいのか。それを模索し続けた20年だった。人間関係の対立を緩和し、共生の可能性を探ったのだ。ただ、再出発するための新たなモラル、新しい可能性を見いだすのは簡単ではない」
――サッカーの世界でもそれは同じでしょうか?
「サッカーは日常生活のイメージでもある。つまり、日常生活で起こることは、サッカーでも起こり得る。人生におけるあらゆる事象が、サッカーの世界でも縮図として現れる。人々の行動様式はサッカーの行動様式と同じだ。政治的、経済的にアグレッシブな人間は、サッカーにおいてもまたアグレッシブと言っていい。私が今、感じているのは豊かな人々の貧しい人々に対する攻撃である。金持ちのビッグクラブが多く存在する一方で、小さなクラブが世界最高になる可能性はない。例えばジェフ(ユナイテッド市原・千葉)が世界チャンピオンになることなど、神話の中の出来事だろう。その現実は見つめなければならない」
メッシとロナウドは何が違うのか?
―― 一旦、話題を日本から現在の欧州に変えましょう。ビッグクラブであるバルセロナとレアル・マドリーには、メッシとクリスティアーノ・ロナウドという2人の突出したプレイヤーがいます。2人の違いはどこにあると思いますか。
「ロナウドには申し訳ないが、私はメッシを推す。彼らは2つの違うタイプだ。ロナウドは美しく、大きく、スピードがあり、瞬間的な加速力も抜群だ。つまりフィジカルの選手だ。メッシはより芸術的でアイディアに富んでいる。より天才的だと言ってもよい。ロナウドがほとんどの問題をフィジカル能力で解決するのに対して、メッシの場合は解決策が彼の頭から生まれている」
――メッシはより知性的ということでしょうか。
「メッシは共にプレーする選手たちに微笑みをもたらす。彼の素晴らしいアイディアの数々を活かし、思い通りにプレーするには、彼を理解する選手たちが必要だ。メッシのクオリティを活かすには、知性のあるチームでなければならない。チームメイトがメッシを理解し、メッシもチームメイトを理解する。バルセロナのほぼすべての選手は、メッシのアイディアを実現するための能力を必要としている。メッシはコレクティビズムの申し子だ。彼のプレーそのものは個人的だが、同時にチームのために自分自身を犠牲にしているとも言える。チームのために働く姿は私の好みだし、そこに彼の価値があると思う」
――今度は日本のトップ選手が集結する代表チームについて。当時監督だったあなたと選手のコミュニケーションについておうかがいします。あなたは選手たちにメッセージを伝える手段として、メディアの前であえて辛辣な発言をされていたように思います。それは意図的だったのでしょうか。
「確かに、中村俊輔や遠藤保仁には、あえて厳しい発言をしたこともある。だが、すべての選手に同じやり方ができるわけではない。誰とうまくコンタクトをとるのか。誰が監督をよく理解するのかを見極めなければならない。選手の側もそれは同じだ。そこでお互いが容認しなければ、コミュニケーションはとても難しいものになる」
――監督には威厳というものが必要なのでしょうか。
「選手が監督の真似をし出したら、それは危険な兆候だ。練習などで選手が監督の訛りやアクセントを揶揄するようになったら、監督の威厳はすでに損なわれていることになるし、言葉が伝わらなくなってしまう。威厳は保ち続けるべきだし、選手への態度を変えるべきかもしれない。選手を罰してはならないが、距離を保って関係をはっきりさせることは必要だ。だが、権威的であってもならない。私なら、選手と親密なコンタクトをとることを試みるだろう。選手の個人的な問題や家族との関係を知るためにも、時に彼らとの距離を縮めていく。監督が選手の私生活や子供のことに関心を抱いていると選手が理解すれば、仕事はとてもやりやすくなる」
日本サッカーが進むべき道について。
――監督と選手の距離感は、日本でもヨーロッパでも同じでしょうか?
「日本のように、もともと監督と選手の間に距離がある国の方がコミュニケーションはとりやすい。日本社会を見ても、老人と若者の間にはモラルの面で距離がある。そうした社会の中で誰がどの位置を占めているかを理解することが重要だ。その上でチーム構築のカギとなる選手を見極める。誰がチームの支柱になっているのか。私がジェフを率いていた時は、当時21歳だった阿部勇樹をキャプテンにした。チーム内ではかなり下の年齢だったが、あえて才能のある若い人間を主将にすることで、チームがうまく機能すると考えたからだ」
――最後にうかがいます。今後、日本サッカーが進むべき道について。
「何度も言うが、他に頼らない日本独自のやり方だ。日本人はとても真面目で、自分たちだけで何かを成し遂げることができる。アメリカでもイタリアでもブラジルでもない、日本独自のスタイルでだ。そのための方法も経験も、あなた方にはあるではないか。サッカーは日々進化している。だからこそ、世界とともに生きていく。もし、日本がイングランドの位置にあったら、3年もあればイングランド以上のサッカーを実践するようになるだろう。だが、残念ながら、地理的な状況を変えることはできない。だからこそ、サッカーで何かを変えていくためには、日本独自の創意工夫と自主性を維持していかなければならない。模倣を続けても意味がないのだ。他人の考えでなく、あなた方日本人の考え方、アイディア。それを追求していくことで到達できることがあるだろう」

イビチャ・オシム IVICA OSIM 
1941年5月6日、旧ユーゴスラビア生まれ。 '90年のイタリアW杯では、代表監督として母国をベスト8進出に導く。'03年にJリーグ・ジェフ市原の監督に就任すると、革新的なサッカーで注目を集めた。'06年から日本代表の監督を務めたが、'07年秋に脳梗塞で倒れ辞任。'09年に帰国後、ボスニアサッカーの国際大会復帰のために尽力した。

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